この2ヶ月を忘れない
こんにちは。ぽんずです。
8月の下旬から夫がバケーションを取っていたので義実家に帰省していました。
時同じくしてアテネに住む義兄も私達より数日早く帰省していました。
そして私達が到着してから3日後の朝、義兄は突然亡くなってしまいました。
具合が悪いと言ってタクシーで奥さん(義姉)と病院に向かった義兄。
タクシーを降りた病院の玄関先でバタンと倒れそのまま帰らぬ人に。
死因は大動脈瘤破裂。そして義姉のお腹には不妊治療の末やっと授かった赤ちゃんがいます。
子供が生まれてくる前に未亡人となってしまった義姉と父の顔を見ることなく生まれてくる赤ちゃんを思うと言葉になりません。
もちろん夫や義母のことも居た堪れないですが…
今でも義兄は遠くに旅行に行っていて、いつか帰ってくる気がしてなりません。
それぐらい、彼の死は今も信じられないです。
そしてその彼の死からわずか9日後の9月上旬。
義実家は水没しました。
ダニエルと名付けられた嵐がギリシャを襲い、2日で3年分の雨を降らせました。
こんなことってある?
何も義兄が亡くなったこのタイミングで、なぜこんな災難に遭わなければならないのか。
去年の帰省時には帰省したその日に義父が亡くなってしまい、私達が帰省する度に何かしらの不幸が起きている現実。
帰省に良い印象を持たなくなってしまいました。
幸い義実家が水没する前に親戚のお家に避難したので命は無事でしたが、家の中も外もめちゃくちゃになってしまいました。
避難した翌朝、親戚のお家から撮った写真。
義実家の庭には魚が。
義実家の近くに川があったのと自宅の敷地が道路より1m程下になっていたため、被害が甚大になってしまいました。
水が引いた後、確認しに行くと2m近く浸水してました。
どこまで浸水したのか家の壁が物語る(壁は元々白色。浸水でくっきりラインが出来ている。)
それからの1ヶ月は毎日掃除に明け暮れる日々。
朝から晩までは家の掃除をし、日が暮れたら親戚のお家で衣食住を過ごす。
とんでもなく辛い1ヶ月でした。
何が1番辛いのかというと食事。私はギリシャ料理が好みではなく、アテネの自宅にいる時や義実家では自分で作ったり、食べられる数少ないギリシャ料理をたまに買うことがほとんど。
でも浸水被害で家電のほとんどを失ってしまい満足に自分で料理することもできません。
親戚のお家で食事も提供してくれましたがもちろんギリシャ料理なので好まず…
浸水被害家庭には週に6日無料でケータリングサービスとして市から食事を提供してくれていますが(現在も)、こちらも好まず…
ある日のケータリング。豆のトマト煮込みとドルマデス(お米を葉っぱで巻いた物)とパン
ある日、親戚のお家で夕飯を食べていると突然涙が流れてきて止まらなくなってしまいました。
その後も突然泣き出してしまったり、内にこもってしまったり…
もうこれ、適応障害ですね(爆)
私は食べることが大好きで食事でストレス発散をしていたんだなとこの時気付きました。
そして浸水被害からちょうど1ヶ月後の10月上旬。やっと義実家に戻ってこられました。
と言っても、どうにか寝泊まり出来るほど。
家具は揃っていないし、不便だらけですが親戚のお家で過ごすよりは精神的にも大分いい。
本来なら衣食住が揃っているだけでとんでもなくありがたいことなんですけどね。
神経質の私には食事問題だけではなく、他家族と過ごすことは辛すぎました。
今は少しずつ家電も揃ってきて、とりあえず生活出来ています。
でも家具等はまだまだ調達できておらず、不便っちゃー不便です。
政府(市)は補助金を出す出すという口ばかりで、実際には今も振り込まれていません。復興作業もまだまだです。
この辺りの洪水被害は前回は160年前だったようで、政府の方も全く予期や準備をしていなかったようです。
補助や復興は日本だったら素早いでしょうから、さすがだなと痛感します。(それだけ天災が多い国とも言えるけど。)
そして今。先週ぐらいからずっと体調が悪くて胃腸の元気も無く、腹痛があったりおそらくストレスで自律神経も不調なのかなと。
風邪も引いて良くなってきましたが、まだ完全復活までは遠そうです…
今年を振り返ると本当に様々なことがここギリシャでは起きていました。
電車同士の正面衝突事故、夏の異常気温(45℃越えの日々)、あちこちでの山火事、その煙による視界不良や空気汚染、そして今回のギリシャ中央部洪水大災害。
もう本当に色んなことが起こりすぎて、忘れられない年になりました。
私達はまだしばらくは手伝い等で義実家にいる予定です。
これからやってくる冬には何も起こらないでほしいなと切実に思います。