「出会い」についての個人的考察 in ギリシャ
こんにちは。ぽんずです。
この国の人たちはこよなくコーヒーを愛しており、毎日のように(人によっては1日に数度も)コーヒーを嗜んでいます。
かくいう私も夫に連れられカフェに行くのですが、そうすると段々と顔馴染みが出来るわけです。それは店員さんだったり、そこに来ているお客さんだったりと。
そこで私は「この国での出会いってカフェで生まれることが多いのではないだろうか」と考えておりました。
そんなふと思ったことを今日は書いていこうと思います。
今日、日本では「出会いが無い」と年頃の男女が口を揃えており、私もその内の一人でした。
あるネット調査の結果を見てみると日本の男女の出会いで多かったのが「同じ職場」。
私は女性しかいない職場だったので出会いなんて全くなく皆無でした。
そんなもんだから数年前は婚活アプリに婚活パーティー、そして結婚相談所にも在籍していました。
でもいずれも成就せず。晴れて成就したとしても、当時のとち狂った私には傷つくことばかり。
っていうか、当時は「結婚」という許可(マインド)を自分自身に出来て無いからそういった相手を引き寄せていました。(類は友を呼ぶ。) だから自業自得w
趣味の球技サークルにも頻繁に参加していましたが、もちろんそこでも出会いは無く…。
友人の紹介もほぼ皆無でしたし、あったとしても未来には繋がらずで本当にどうしようも無かったです。
そんな過去の自分の状況を今目の前で広がっている世界と重ねて気づいたのが、「実は出会いは物凄く容易である」と言うこと。
無いんじゃない。見落としている。
とでも言ったほうがいいでしょうか。
私が住んでいるこの国では、コーヒーを飲んでいれば至る所から「ヤァ!」という挨拶が聞こえてきて、みんな知り合いが多いんだなぁと感じます。
観察しているとカフェだけに限らず道を歩いていても挨拶をしあっていたり、立ち話をしていたりと日本ではあまり見られない光景を目にします。それも当たり前のように。
いや、もしかしたら数年前の日本でもあたり前の光景だったのかもしれない。(醤油切らしたからお隣さんに借りる的な。)
物理的にだけでなく、心と心も比較的近い世界なんだと思います。
先日のブログで「何を話せばいいかわからない」と書いたけれど、それは「相手に迷惑にならないか」、「こんなことを話して変に思われないか」と言った自分軸ではなく他人軸になってしまっているからであり、この国の人たちから学んだのは「自分が話したいことを好きなように話す」ってこと。
他人にどう思われようが彼らは「自分が話したいから話す」のです。
だから話が尽きないんだと思う。
だからコミュニケーションが上手なんだと思う。
だからコミュニケーションに困らないんだと思う。
だから出会いは容易でそこらじゅうに転がっているんだと思う。
(↑全て対私比)
そこでふと「カフェで出会いの仲介やったらいいんじゃ…?」と思った私は店主さん(女性)に、過去これまでにカップルを作ったことがあるか聞いてみました。
すると「0よ。そんな仲介なんて絶対やらないわ。」という予想外の答えが!
自分の親しいごく僅かな友人達ならするけれど、ここではやらないと。
彼女はどのお客さんに対しても欠かさず挨拶をし、気さくに話込んだりしていたのですごく顔が広く仲介依頼があればするだろう・依頼が多いのでは?と思っての質問だったのですが、その答えは全くの正反対でした。
よくよく聞いてみると「後々トラブルになりたくない」、「みんな挨拶程度の付き合いでよく知らない人達だから」といったことを言ってました。
私としては仲介だけに徹してトラブルは本人同士の問題だから仲介者に害が及ぶことはないと思っていたのですが、そもそもこの考えがザ日本人であり、この国の人たちにはそれは通用しないと痛感しました。
また夫氏にも仲介について聞いてみたところ、そういったオフィス?は一応あるそうです。(もちろんお金を払って。)
続けて「この国の人たちは見知らぬ人であってもよく助け合ってるのに、どうして出会いに力を貸してあげないの?」という、私からすると強烈な違和感がどうしても拭えない質問を夫氏に投げかけてみました。
すると「恋人が欲しいなら自分で声をかけるし、かけろって言うし、かけろって思う。もちろん店主の言う通りごく近い友人には紹介をすることもあるけれど、ほとんどは自分でどうにかする」とのことでした。
私の知ってる最近の出会いと言ったらほぼ仲介や斡旋(アプリ、相談所等)で、自力で見つけてくると言うのは(皆無では無いにしろ)なんとなく遠い存在になってしまっていたのです。
そこで夫氏に「どこでみんな出会っているの?」と聞くと「カフェやクラブ」と返ってきました。(いや、「クラブ」って!と思ったのは言うまでもないw)
つまり「カフェでの出会いは多いのか?」と言う冒頭の私の疑問に対する答えはイエス。
しかし、そこから発展した「仲介」に対する考え方が全く違ったのには驚きました。
お節介な人達なのに仲介に対しては我関せずという態度を聞いてどうしてもこの悶々とした気持ちが晴れないのですが、こうしてふと疑問に思うことで彼等をより深く知れ、自分の考えや前提(思い込み)を知ることが出来た貴重な経験となりました。
出会いが無いのではなく出会いは作れるし、そこらじゅうに転がっているもの。
恋愛での出会いに限らず、友人でも知人でも欲しいのなら「臆せず怯まず恥ずかしがらず、バンバン声をかけていったらいいんじゃない!彼等(ギリシャ人)のように!」と思った私でした。
(自分に強く言い聞かせてる。笑)